同情は軽蔑 最近の気付き
(フィリピン:マニラ教会 パイプオルガンの音色が素敵♪)
久しぶりの更新です。
色々と書きたいことはあったのですが、
止めていたのは、
気付くことがあったから。
わたしの書きたいことって、
結局、過去の愚痴と悲哀じゃないかって。
ポジティブに見せかけた悲哀感。
事実を残したい、伝えたいって、
正義っぽくも聞こえますが、
単に、自分を正当化したかったからで、
正当化する気持ちはいいんです。
わたしぐらいはわたしを正当化してあげたいし、
批判は他人が嫌でもいっぱいしてくれるから、
自分だけは自分の味方でいたいと思っているので、
そこに問題は感じなかったのですが、
でも、なんとなく、それ以上に、
わたしはもしかして、
世間の同情を乞おうとしているんじゃないかって。
それに気づいてからちょっと時間をおいていました。
同情を乞うのは簡単なことで、
だから、知らず知らずに、
そういう発信をしがちなのかもしれません。
だけど、同情の中には、
必ず軽蔑の念が含まれるんですよね。
最近、これに気付きました。
同情を乞うため、
誰かを攻撃するため、
自己顕示欲を満たすため、
自分の正当性を説くため、
その為にブログをしたい訳ではなくて、
これは遺書的な備忘録。
いつか、子ども達がこれを読んだ時、
母親からの愛情というのを、感じてほしいのです。
親が子どもにしてあげれる一番のことって、
何かを教えるとか、何かを与えるとかよりも、
どれだけ大切に思っているか、
どれだけ愛情を伝えるかだと思います。
人は愛されていることで自信が持てて強くなれる。
親からの愛情に気付くか気付かないかは、
すごく大切だと思うから。
わたしは今は子ども達の近くにいることが出来ていません。
だけど、だからこそ、
こうしたブログという形で、
今の気持ちを残すチャンスが与えられました。
タイムリーに面と向かって伝えることは出来てないけれど、
文字にすることで、時間が経っても、
今の気持ちは色褪せずに、
必要なタイミングに必要な人達に、
伝えることがきっとできるんだと思います。
今、与えられている環境と、
今、読んでくれている人達へ、
心から感謝しながら、
これからも楽しく続けていきます。